世界に数ある高級ブランドの中でひときわ格付けや品格が高いHERMÈS。
ブランドステータス、デザイン、コンセプト、クオリティ・・・すべてが最高峰と評され、総合的なブランドのトップであることは間違いありません。特にバーキンやケリーといった超高級バッグはエルメスの代名詞として知られています。
今回はそんなエルメスの奥深い歴史について詳しく掘り下げていきたいと思います。
目次
エルメスの歴史年表
今日にいたるまでのエルメスの歴史を年表にまとめました。今や定番や人気となったエルメス製品も様々な遍歴や逸話を持って誕生し、それぞれのヒストリーが今のエルメスを築き上げています。
180年の歴史を持つエルメスを簡単に見てみましょう。
1837年 | 初代創業者ティエリ・エルメスが高級馬具工房をパリ9区にオープン 。 |
1878年 | 2代目シャルル・エミール・エルメスが就任。 パリ万博にて1867年に銀賞、78年金賞を獲得後はより高い評価をされるようになる。 |
1879年 | 今も店舗を構えているパリ8区・フォーブルサントノーレ地区へ移転。 顧客への直接販売開始。 |
1892年 | 3代目エミール・モーリス・エルメスが馬具中心から方向転換し多角的事業を開始。 バーキンの原型となる「オータクロア」誕生。同年「ガーデンパーティ」誕生。 |
1990年初頭 | 服飾品、バッグ、財布といった分野を手掛けるようになる。 |
1923年 | ハンドバッグに初めてファスナーを採用し特許を取得。 これを実用化した「ブガッティ(後のボリード)」が誕生。 |
1927年 | 1920年代にジャガールクルトほかスイスの時計メーカーと提携。 「ブレスウォッチ」「ベルトウォッチ」を発表。 |
1935年 | 「サック・ア・クロア(後のケリーバッグ)」誕生。 モナコ王妃となったグレース・ケリーが愛用していたことで後にケリーバッグとなる。 |
1937年 | スカーフコレクションを発表。「カレ」誕生。 |
1945年 | 現在では御馴染み「馬車・馬・従者」のブランドロゴが登録される。 |
1947年 | 香水を手掛けるようになり「オードゥエルメス」「カレーシュ」などが続く。 |
1951年 | 4代目ロベール・デュマ・エルメスがスカーフと香水分野に尽力。 スカーフで使われたシルク素材をネクタイにも採用する。 |
1969年 | 現在も大人気な「コンスタンス」誕生。 アメリカ元大統領夫人ジャクリーヌ・ケネディが愛用していたことで知られる。 |
1978年 | 5代目ジャン・ルイ・デュマ就任。エブリンの誕生。 |
1978年 | 日本国内初のエルメス直営店が東京・丸の内にオープン。 |
1979年 | スイスに時計製造の為の子会社ラ・モントル・エルメスを設立。 「クリッパー」「Hウォッチ」などの名品が生まれる。 |
1983年 | エルメス日本法人のエルメス・ジャポン株式会社が設立。 |
1984年 | オータクロアをカジュアルに改良した「バーキン」が誕生。 ジャン・ルイ・デュマが飛行機内でジェーン・バーキンと出会ったのがきっかけである。 |
1998年 | 「フールトゥ」「エールバッグ」発売。 キャンバス地ならではのカジュアルさでより多くの層を取り込む。 |
2001年 | 東京・銀座に旗艦店メゾン・エルメスがオープン。 |
2003年 | 「ピコタン」発売。スカーフの「ツイリー」発売。 |
2006年 | パトリック・トーマスが代表就任。一族でない人物は初である。 |
2007年 | 「リンディ」発売。 |
2010年 | ルイヴィトングループ(LVMH)によるエルメス買収騒動。 4年に渡って攻防が続き、結果買収はされていない。 |
エルメスの歴史は馬具工房から始まる
今から180年前の1837年、創業者ティエリ・エルメスがパリに高級馬具工房をオープンしました。記念すべきエルメスの歴史の幕開けです。
当時の移動手段として欠かせない馬車。当然馬車関連の製造業が盛んな時代でした。
創業者ティエリ・エルメス
出典元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%B9
創業者のティエリ・エルメスは1801年、ドイツのクレフェルドという場所で生まれました。当時はナポレオンがフランス領としていたため、ティエリ・エルメスはフランス国籍を持っています。
家業は宿泊施設を営んでおり、客の馬車や馬の世話を幼いころから手伝っていたようです。ほどなくして家族は戦争や病で全員亡くなり、15歳で孤児になったという話もあります。
幼少期に抱いた馬車への愛着、また馬車の最盛期ということも手伝って、ティエリ・エルメスはパリの馬具屋に見習いとしての一歩を踏み出します。
地道に職人としての経験を積み、店を開けるほどまでの技術を身につけたティエリー・エルメス。
時代は産業革命後、パリではブルジョワ階級の人々が盛んに社交を楽しみ、いかに自身に高級ステイタスを纏わせるかに熱を上げていました。
そして馬車は最もたるステイタスとされ、最先端の高級品としてみられていたのです。
そんな真っただ中の1837年、36歳の時、現在のパリ9区に待望の馬具工房、その名も「ティエリ・エルメス」を開きました。
高品質なエルメス製品が評判を呼ぶ
馬具製造業や販売は時代背景からして大変儲かる業種ではあったものの、ティエリ・エルメスは儲けよりも品質を追い求める職人であり経営者でした。
長年培った馬具に関する知識や技術を凝らし、時間をかけてじっくり仕上げたその製品たちはパリ中で評判となります。
高級馬具店がひしめくパリの中でも、エルメスは誰もが知る店に成長しました。
馬具工房の顧客はなんとナポレオン3世やロシア皇族といった公人をはじめ、多くの貴族や上流階級の人々。
品質だけなくファッション性も兼ね備えたエルメス製品は、この頃から超一級品とされていたのです。
パリ万博での成功
エルメスは1867年にパリ万博で鞍を出品し銀賞を受賞。これだけでも凄い実績ですが、ティエリ・エルメスからすると金賞を逃したことがショックだったようです。
彼は次回1878年のパリ万博へ向けての熱意を燃やす中、出品の迫る3カ月前というタイミングの77歳で死去することなります。
2度目のパリ万博へ出品した結果は見事金賞を受賞し、エルメスはさらなる名声と地位を得ました。
一族で基盤を築いてきたエルメスは、2代目として息子のシャルル・エミール・エルメスが就任します。
父親と同じくエルメスのさらなる展望を描いていたシャルルは、富裕層が集中して居住するフォーブル・サントノーレ街に店舗を移転。
当時この近辺はマドレーヌ寺院やオペラ座、シャンゼリゼ通りなどが位置し、上流階級の人々が馬車で行き交い高級馬具の店を構えるのに絶好のスポットだったのです。
現在も同じ場所にあるこの店舗では、製造や卸だけでなく、顧客への直接販売を可能にしました。
シャルルの先を見越した経営により、馬車がピークのこの時代にはエルメスには連日多くの客が訪れ、ブランドはさらなる繁栄を続けます。
バーキンの基となる「オータクロア」が誕生
エルメスの代名詞である「バーキン」ですが、実はその基となったバッグが存在します。エルメスが初めて発売したバッグである「オータクロア」です。
バーキンは知っているけどオータクロアは知らないという人は多いと思いますが、エルメスの歴史を語る上では欠かせない存在です。
オータクロアは1892年、現在でも人気の高いケリーやバーキンのさきがけとなる「サック・オータクロア」として発表されました。
バーキンよりもさらに一回り大きく縦に長いデザインで、当時は鞍を収納し持ち運ぶ目的で作られました。
大きいハンドルは持ちやすく旅行カバンとしても使用できます。
バーキンにも共通する正面の金具はオータクロアで初めて生まれたデザインなのです。
その見た目や仕様ははるかなる時を経て現在はバーキンやケリーへと受け継がれています。
なんとオータクロアは現在でも製造されておりサイズ展開も豊富で、バーキンなどに比べると数は少ないですが入手することは可能です。意外と知られていないエルメスの豆知識です。
ファッションブランドへ方向転換
高級馬具ブランドとして成功を掴んだエルメス。しかしあれだけ栄えた馬車の時代は1900年代を目前にして陰りが見えてきます。
産業の発達により、馬車に代わる交通手段である自動車が誕生。
フランスでは1880年代後半から徐々に自動車が製造されるようになり、馬車とは桁違いの馬力やスピード、移動のしやすい自動車は社会や人々にとって革命的でした。
馬具製造と販売を専門としていたエルメスには、自動車の登場による馬車の衰退はブランド存続の危機です。
このころ2代目シャルルは老年を迎え、3代目エミール・モーリス・エルメスへと経営を任せることとなります。
3代目のエミール・モーリス・エルメスは優れた経営者でした。
生活様式の進化、そして車社会への転換期であることを悟ったエミールは、エルメスの主力でありブランドそのものであった馬具製造分野からファッション分野へと方向転換を行いました。
全く異なるファッション分野への進出は大きな決断でもありましたが、いち早く時代に即した対応であり、ここからの躍進が今のエルメスに繋がっています。
エルメスがこれまで馬具製造で培ってきた職人技や使い手を想ったものづくりの精神は存分に発揮されることとなり、バッグや財布、グローブといったアイテムの製造販売で総合的ファッションブランドとして歩みを進めます。
世界初のファスナー付きバッグ「ボリード」
エルメスは1920年にバッグ部門を設立し、本格的なバッグ製造販売を行います。
そして1923年に、世界で初めてのファスナーを採用したバッグ「ブガッティ」が誕生。これが現在のボリードの原型となっています。
ファスナーによってきっちりと開閉部が覆われるバッグは今でこそ当たり前ですが、当時はベルトで開け閉めをするバッグが普通でした。
ファスナーが付いていることにより荷物をきちんとしまうことができ、開け閉めもスムーズなブガッティというバッグはとても画期的なものだったのです。
バッグだけでなくあらゆる小物にファスナーを採用し、その使い勝手の良さからエルメス製品への評価はより高まりました。
現在のボリードもエルメスで人気ですが、バッグ史にとって大きな革命を残した偉大なバッグなのですね。
また当時のバッグや財布といった身に着ける小物は、革素材のものなどほとんどなかったといいます。
ブガッティをはじめ、本格的にファッション分野への参入を始めたエルメスは、創業から培ってきた得意分野である皮革を上手くファッションに落とし込むことに成功しました。
歴史あるエルメスの時計
多角的な経営戦略により、様々なジャンルのアイテムをラインナップするようになったエルメス。現在では時計も世界トップレベルの立ち位置で、機能性、ファッション性、ステータスと3拍子揃った様々なシリーズを展開しています。
バッグなどの皮革製品だけでなく時計も手掛けるようになったのは1920年代のこと。
皮革を取り扱うブランドとしては一流であるものの、時計のメカニックな部分はエルメスにとっては未知の領域。
まずエルメスはスイスの有名時計メーカーと提携し、技術や知識を得ながらエルメスならではの時計開発に着手しました。
エルメス初の腕時計「ブレスウォッチ」
エルメスの時計についての歴史を辿っていきます。
懐中時計が主流で、腕時計はまだまだ未完成の時代だった1910年代。
エルメスが時計の考案を行っている最中、カルティエやエルジンといったブランドが高級時計として勢いが付きだしていました。
ではエルメスにしかできない時計は何か?・・・それはやはり最高級の革を取り入れ職人技をいかした腕時計です。
そこで1928年にエルメスが初めて出した腕時計が「ブレスウォッチ」。このネーミングから、当時はまだ時計を腕に着けるというスタイルが浸透していなかったことが想像できます。
ブレスウォッチはゴルファーを想定して作られ、文字盤をウエストベルトのバックルで隠す仕様により衝撃から守られるようになっています。
ブレスウォッチを皮切りに、エルメスは腕時計以外にも革を使用した様々なタイプの時計をリリースしヒットを飛ばします。
エルメスはジャガールクルトやユニバーサルといった有名時計メーカーと提携し、時計においてもプロフェッショナルな開発が行われるようになりました。
本格的に時計分野を拡げ、アルソーやクリッパーなど名品を生み出す
既にヨーロッパのみならず世界的に高級ブランドとしての成功をおさめていたエルメスは、時計分野へ多くの資金を投入しさらなる躍進を突き進みました。
馬具製造から始まったエルメスの丁寧なものづくり精神は時計にも反映され、独創的な「エルメスらしさ」はすぐに評価されるようになります。
ついに1979年にはスイスに時計会社を設立し、さらなる専門的な時計製造が可能になりました。
1979年にはアルソー、1981年にクリッパー、1997年にHウォッチなどのロングセラーシリーズが続々と誕生します。
数ある高級時計ブランドにひけをとらない、エルメスのファッショナブルで機能的な腕時計は世界中で愛され続けています。
ケリーバッグの原型が誕生
エルメスといえば「バーキン」とセットで「ケリー」のイメージも強いです。ケリーバッグとも呼ばれています。
ケリーの原型となる「サック・ア・クロア」が1935年に誕生しました。特徴は台形フォルムでバーキンよりもカッチリした印象、女性のフォーマルな場面にぴったりです。
ではなぜ後に「ケリー」と呼ばれるようになったのか?それは1956年にモナコ王妃であり女優でもあったグレース・ケリーと関連しています。
女優からモナコ王妃へ転身したグレース・ケリーは世間の注目の的で、妊娠中のお腹をパパラッチからとっさにバッグで隠す場面が紙面に出てしまい、その時持っていたバッグが「サック・ア・クロア」だったというわけなのです。
これを機にサックアクロアは一気に話題となりました。ブームをチャンスにしたいエルメスはモナコ対して「ケリーバッグ」の名称を使用する許可を得たといいます。
ケリーはほかにも「ケリーウォッチ」や「ケリーウォレット」といったアイテムがあり、根強い支持があるエルメスのアイコン的存在です。
スカーフコレクション、香水分野の躍進
3代目のエミールは、現在のエルメスのスタイルを作った人物と言われています。彼の時代にエルメスはバッグ、財布、時計など時代を重ねるごとに取扱いジャンルを増やし、今も続くエルメスの基礎として生き続けています。
その基礎たちの製造や販売にあたっては、どれもが時代の変化に合わせて試行錯誤を重ね、危機を切り抜けてきた経営策でした。
ピンチを見事成長へ導き、エルメスの歴史を物語るピースを形成していったのです。
エミール時代の大きな成功としては、スカーフと香水の躍進が挙げられます。
最高級ブランドとして、素材にこだわり職人の丁寧な製造がウリだったエルメスは、商品の価格帯もかなり高いものでした。
しかし第一次世界大戦、世界恐慌、第二次世界大戦という厳しい時代背景の中、エルメスの値段が張るアイテムは決して手軽ではなく、ごく限られた富裕層にしか手にすることができません。
そこでより多くの人がエルメス製品を手軽に購入してもらうために参入したのが、スカーフと香水の分野です。
混沌としたこの時代の人々は経済的にも豊かとは言えず、もっともらしい高級品を売るには厳しい時代でもあったのです。
それまでは馬具製造時代からこだわってきた皮革を活かしたアイテムを販売してきたのに対し、新しい素材で作るスカーフ、また香水と言うジャンルは新たな挑戦でした。
エルメス スカーフの歴史
エルメスといえばバーキンやケリーのほか、スカーフもまたエルメスの顔といえるくらい印象が強いのではないでしょうか。実際、エルメスの総売り上げは2割をスカーフが占めています。
なめらかなシルクに、まるで芸術作品や絵画のような美しいスカーフ達は1500以上といわれるデザインが作られてきました。またエルメスのルーツである馬具をモチーフにしたデザインも多いです。
エルメスが初めてスカーフを出したのは1935年。エルメスのスカーフとしてとても有名な「カレ」が誕生しました。
素材とものづくりにこだわるエルメスのカレにも、もちろん多くの情熱が込められて制作されています。
シルクの首都といわれるフランス・リヨンにカレの工房があり、そこで職人さんが染料の調合、染色、裁縫にいたるまで手作業が行われています。1枚のスカーフに使う色は数十色にのぼりますが、配色ごとに製板を変えながら色を染めていきます。
1枚のスカーフを作成するのに合計で数百時間も費やすといわれており、カレはエルメスのこだわりが詰まった贅沢なスカーフなのです。
またバリエーション豊富なカレのデザインは馬や馬具、自然だったり神話だったりとストーリーを感じさせるモチーフばかり。
手ごろな値段でファッションのアクセントになるカレは発売当初から好評でした。コーディネートに使うだけでなく芸術品やインテリアとして扱われることもあるようです。
のちの1950年代、4代目ロベール・デュマ・エルメスはスカーフ事業拡大に努めた結果、伝統的なエルメスらしい一品として定着させることに成功し、1970年代後半に5代目ジャン・ルイ・デュマは先代が築いたスカーフ事業をいっそう強化し現在に至ります。
エルメス 香水の歴史
出典元:https://www.hermes.com/
皮革製品から裾野を拡げ、ファッションをトータルコーディネートできるラインナップを目指したエルメス。
多くのハイブランドが香水を手掛けていますが、エルメスが香水に本格参入したのは第二次世界大戦の終戦直後のことです。
戦争の混乱は社会や経済にも影響し、エルメスの店舗や今後の展開を改めて整える必要がありました。
このころ、エルメスのロゴでありアイコンでもある四輪馬車と従者が使われるようになりオレンジのブランドカラーも生まれました。
そして1947年、3代目エミール時代の終盤、娘婿のジャン・ゲラン・エルメスによって香水部門が設立。
1951年にエルメス初めての香水「オードゥエルメス」、1961年に最も有名な香水「カレーシュ」を発売
その後も1970年に男性向け「エキパージュ」、女性向けに「アマゾン」などがあります。
最高品質の製品づくり、ブランド力を確立していたエルメスの香水はもちろん大成功。
さらに2004年からはブルガリやカルティエの香水で実績を残した調香師ジャン・クロードエレナがエルメスの香水をプロデュース。
世界の庭をモチーフにした香りを商品化するという、今までにない独創的なアイデアにより、エルメスの香水の売り上げは爆発的に伸びたといいます。
ブランドが築いてきた伝統を大事にしながらも、ところところで新たなエッセンスを上手く取り込むことで、エルメスの成長は留まることを知りません。
職人技と飽くなきクオリティを追い続けるエルメス
漠然としたエルメスへの憧れ、気品、格上なイメージは誰もが持っていると思います。
そのブランドイメージやステータスは、ただ歴史が古いかったり値段が高かったりだけではありません。様々な局面を乗り越え裏付けられたストーリーがあるからこそではないでしょうか。
産業技術や科学が発展し、モノづくりはどんどん容易になりました。大量生産だったり流れ作業で済むようなことでも、エルメスは創業以来のポリシーである「職人技」を今でも行っています。
それはただのこだわりではなく、確かなクオリティと消費者に対する「責任」でもあります。事実エルメス製品は製造場所や製造年だけでなく細かな作業所、携わった職人などが刻印でわかるようになっており、アフターケアが万全という面が大変すばらしいです。
なんでも修理の際は手掛けた職人が直してくれるとのことで、ひとつの製品、一人の顧客をいかに大事にしているかがわかります。
また、180年経った今でもルーツである馬具にエスプリを感じ、エルメスのロゴしかりデザインしかり随所に歴史や伝統を感じさせるのも魅力的です。
2010年にはルイ・ヴィトンからの買収騒動もありましたが、エルメスはこれに徹底的に対抗。エルメスを守ることに成功しました。
エルメスのアイテムから滲み出る気品、気高さ、上品さは、他のどのブランドとも交わることはなく、今後も独自のブランド力を高めていくことでしょう。
今回のエルメスの歴史について詳しく解説しましたが、知れば知るほどエルメスの魅力と深みにはまっていきそうですね。