日本の金山|金鉱山の歴史や埋蔵量

作成日:2020年05月29日
最終更新日:2021年03月28日

貴金属

金山跡

 

唯一無二の美しい輝きを持つ金は、古代から人類を魅了し続けてきた貴金属です。

 

日本でも、各地の金山で金鉱石が産出されていたことをご存じでしょうか。

 

鉱量の枯渇により閉山されたところが多いものの、いまだに現役で金を産出している金鉱山もあり、日々採掘が行われています。今回は日本の金山の歴史や金の埋蔵量についてご紹介します。

 

近代日本を支えた金山

かつて日本にも多くの金山があり、金を産出してきました。これからご紹介する3つの金山は現在は閉山していますが、日本の金鉱山史において一時代を築いた金山です。

佐渡金山

「佐渡金山」のイメージ画像

日本の金山でもっとも有名なのは、新潟県の佐渡島にある「佐渡金山」でしょう。

 

発見されたのは日本の行く末を決めた「関ヶ原の戦い」の翌年1601年で、徳川家康の所領となりました。それから250年あまりの間、江戸幕府の重要な財源であり続けました。

 

労働者の賃金は高水準でしたが、鉱山での労働は楽なものではありませんでした。特に鉱山に溜まった水を外部に排水する「水替人足(みずかえにんそく)」の仕事は過酷で、「佐渡の金山この世の地獄、登る梯子はみな剣」と謳われた程でした。江戸時代後期にはおよそ1,800人の浮浪者や罪人が、江戸から佐渡へ強制連行されたと言われています。

 

佐渡金山の金は江戸時代が終わってからも尽きることはなく、開山から約400年間、元号が平成に変わった1989年まで採掘が続けられました。掘られた坑道の総延長は400キロメートルにもなり、閉山までに産出されたのは「金83トン、銀2,300トン」です。これは日本の金山で菱刈金山に次ぐ、第二位の実績です。

 

現在は史跡として整備され、坑道の一部などを見学できるほか、金箔貼り体験などを行うことができます。

 

史跡 佐渡金山 公式HP

 

 

鴻之舞金山

「鴻之舞金山」のイメージ画像

北海道の紋別市にある「鴻之舞(こうのまい)金山」も1915年に鉱床が発見されてから1973年の閉山まで、「金73トン、銀1,234トン」を産出した日本で第三位の実績を持つ金山です。1917年に住友金属鉱山が経営権を得ました。

 

鉱山の発展と共に、労働者とその家族の居住区が地域に形成され、1915年当時は5,000人ほどだった紋別市の人口は最盛期の1942年には20,000人を超えるまでに膨れ上がりました。

 

しかし1943年に戦争の産業統制で「金は不要不急の鉱物」とされ、鉱山労働者の多くが徴兵されたため、操業に支障をきたすようになりました。

 

第二世界大戦後の1948年に操業は再開されましたが金価格の低下と鉱物資源の枯渇により、1973年に閉山が決まりました。

 

現在は発電所やコンクリート製の住居などが遺構として残され、林の中に散見されます。

鯛生金山

「鯛生金山」のイメージ画像

 

 

画像引用 GOLD NEWS

 

大分県日田市中津江村の「鯛生(たいお)金山」も、最盛期には佐渡金山を凌ぐ年間2.3トンもの金を産出した日本有数の金山です。

 

1984年に行商人が拾った金を含む白い石(含金銀石英)がきっかけとなり金鉱脈が発見され、1898年から採掘が始められました。

 

1918年からはイギリス人のハンス・ハンター氏により近代的な採掘が始められ海外からも多くの人が集まり「東洋のエルドラド(黄金郷)」と呼ばれました。1938年には年間産出量が佐渡金山を超え、日本最大の金山となりましたが、1943年に日本全国の金鉱山に影響を与えた「金鉱山整備令」によって一時生産停止に陥ります。

 

この「金鉱山整備令」は、戦争下において軍需資材を優先とする政策で、これにより金鉱山は軒並み縮小され、代わりに「銅鉱山や炭鉱」など国にとって重要鉱物を産出する鉱山に設備が充てられました。

 

その後1956年に鯛生鉱業K.K(住友金属鉱山の子会社)によって操業が再開され、1972年に資源枯渇のため閉山が決まりました。

 

2007年には経済産業省によって近代化産業遺産に認定され、現在は地底博物館の形で当時の様子を見学できるほか、砂金採り体験も行うことができます。

 

鯛生金山 地底博物館 公式HP

 

 

黄金の国ジパング

「黄金の国ジパング」のイメージ画像

ヴェネツィアの商人であるマルコ・ポーロ(1254~1324)が、「東方見聞録」の中で日本について「黄金の国ジパング」と紹介しました。

 

東方見聞録には「ジパングではいたるところで多くの金が見つかり、宮殿の屋根や床は金でできている」と記されています。ただ、マルコ・ポーロは実際に日本を訪れたわけではありません。「黄金の国ジパング」に関する記述は、中国で聞いた話を元にしたものです。

 

この「東方見聞録」に出てくる金でできた建物とは、奥州藤原氏の初代当主、藤原清衡(きよひら)が1124年に建てた中尊寺金色堂のことだといわれています。実際、奥州(現在の東北地方)には玉山金山をはじめいくつもの金山があり、奈良時代の頃から多くの金を産出していました。752年に完成した奈良の大仏にも奥州で採れた金が使われたといいます。

 

都から遠く離れた奥州の地で平泉文化を築いた奥州藤原氏は、中国との交易ルートを持っていました。そこから金色堂の豪華絢爛な美しさや、金を豊富に産出する金山の話が中国に伝わり、マルコ・ポーロの耳に入ったのでしょう。

 

マルコ・ポーロが残した黄金の国ジパングの伝説は、その後も多くの人を魅了しました。かの有名な探検家コロンブスも、たどり着くことはできなかったものの、ジパングを目指していたのです。

現代日本の金山

金は自然資源ですから、埋蔵量には限りがあります。今までご紹介した金山は金が取り尽くされたためにすでに閉鎖されていますが、国内で唯一、現在も商業規模の採掘が行われている金山があります。

 

それがこれからご紹介する鹿児島県の「菱刈(ひしかり)金山」です。

菱刈金山

「菱刈金山」のイメージ画像

 

 

画像引用 住友金属鉱山公式HP

 

菱刈町は江戸時代から金の産地であり、1960年代中頃から金属鉱業事業団が金鉱調査を行っていました。金の鉱脈が発見されたのは1981年のことです。

 

1997年には金山の累計産金量が国内トップとなる83トンになり、その産金量は2020年3月末時点で248トンにまで達しています。

 

菱刈金山の金の推定埋蔵量は250トンとされていますが、2012年には埋蔵量30トンの新たな金鉱脈が発見されました。探鉱は継続的に行われているため、今後さらなる金鉱脈が発見される可能性もゼロではありません。

 

また菱刈金山の金鉱石は非常に高品位であることが知られています。

 

通常の金鉱石は取れる金の量が1トンあたり3グラムほどなのに対し、菱刈金山の金鉱石は1トンあたり30~40グラムもの金を含んでいます。

 

現在も年間6トンの金を産出する日本国内第一位の金山です。

 

下記は日本の主要金山の産金量です。

順位

鉱山名

所在地

産金量(トン)

備考

1

菱刈

鹿児島

248.2

稼行中

2

佐渡

新潟

82.9

閉山

3

鴻之舞

北海道

73.2

閉山

4

串木野

鹿児島

55.8

休止中

5

鯛生

大分

37.0

閉山

6

高玉

福島

29.6

閉山

7

山ヶ野

鹿児島

28.4

閉山

8

千歳

北海道

23.0

閉山

9

大口

鹿児島

22.5

閉山

10

持越・清越

静岡

20.9

閉山

(2020年3月末現在)

参考 住友金属鉱山「日本の主要金山の産金量」

 

 

世界の金産出量

世界に目を向けてみると、現在もっとも金の産出量が多いのは、年間およそ400トンを産出する中国です。これに300トンあまりを産出するオーストラリア、ロシアが続きます。

 

日本最大の菱刈金山が年間6トン、かつて日本最大の金山だった佐渡金山ですら400年あまりで83トンの産出量ですので、世界的に見ると日本の金産出量はわずかです。

 

しかし、日本近海の海底には手つかずの金脈が眠っているともいわれています。技術が進歩し、海底にある鉱床の開発が進めば、マルコ・ポーロが描いた「黄金の国ジパング」のように、日本が金の産出国として知られる日がやってくるのかもしれません。

 

世界各国の金産出についてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。

関連記事:金の産出国ランキング|日本でも金は取れるのか?

 

 

まとめ

今も昔も貴重な資源であり、豊かさの象徴でもある金。

 

すでに閉じられた金山や鉱山は観光できるところも多く、佐渡金山では江戸時代に手で掘られた坑道なども見学でき、鯛生金山では砂金採取の体験が行えます。

 

日本における金山を知ることは、日本の歴史を理解する上でも有意義なことではないでしょうか。

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