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ココシャネルが女性の自立と解放を願って1910年に創設したブランド「CHANEL」。
110年の時を経てもなお、ファッションやコスメにおいて全女性が憧れる存在です。
これまで戦時中の混乱や低迷などの歴史がありながらも、シャネルは女性の為に最も尽くしてきたブランドと言って間違いないでしょう。
今回は、シャネルと共に歴史を歩んできた歴代のデザイナーについて、またそのデザイナー達が手掛けてきたデザインやアイテムについて、詳しくコラムでお届けいたします。
目次
【1909年~1971年】ガブリエル・シャネル(ココ・シャネル)
出典:シャネル公式サイト https://www.chanel.com/jp/about-chanel/the-founder/
1910年にフランスの帽子店から始まったシャネルは、皆さんご存知のココ・シャネルが創設したブランドです。
本名はガブリエル・ボヌール・シャネルといい、世界中に浸透しているココ・シャネルという名は愛称となっています。
世間では彼女の生き様が映画化されたように、ココ・シャネルという人物はとても大きな存在として認識されていますよね。
歴史の残る女性であったと同時に、少々難あり(?)で男性遍歴も派手だったことなどで、いわば破天荒な性格も伝説として残っているみたいです。
ここではシャネルのブランド形成そのものを行い、デザイナーとしても数々の作品を世に残したココ・シャネルについてのお話を紹介します。
ココ・シャネルは早くに親を亡くし孤児院と修道院で育った生い立ちがあり、子どもの頃はここで厳しい暮らしを強いられました。
シャネルが成功後にインタビューを受ける時は、絶対に幼少期の話はしなかったということなので、とても辛い経験であったことは想像できます。
そんな厳しい生活の中、修道院では裁縫を学んだそうで、これはのちのシャネルというブランドを作り上げるまでの過程に関わっていることでしょう。
18歳で修道院を出ると、シャネルはお針子として社交場へと出向くようになります。
そこで社交場の人間と人脈を作ったり、自身のデザインした帽子を売るという経験を積みます。
しかしながら、社交場で打ち付けられた生い立ちから来る身分の差や、上流階級の男性達から下位に扱われるという出来事は、嫌な人生経験でありながらもシャネル創設への大きな野心に繋がりました。
当時は男性中心の社会で、女性の立場は今では想像できないくらいに低く、現代でいう「女性の自立」など考えられないことだったのです。
女性の身分や扱いと同等に、当時の女性のファッションにも性差による不便さは現れていました。
20世紀初頭の女性はコルセットで体を締め付けた上にとても動きにくいドレスを毎日着ており、日常着としては着心地が悪く不便であることにココ・シャネルは着眼点を置きました。
エレガンスは大事とされていたものの、日常的に作業をこなすには向かないこの女性達の格好を、彼女は上品でありながらもお洒落なモードテイストに仕上げて世に出したのです。
ジャージー素材を使ったり、締め付けのないドレス、喪服の色とされてきた黒をシックなイメージで定着させるなど、ファッション業界への革命を次々に起こしました。
ファッションウェアだけでなく、今でも多くの女性から愛されているシャネルのコスメや香水も、彼女が作り出しデザインしたものばかりです。
現在のスティック型の口紅や、有名すぎるシャネルの5番なども、彼女のアイデアで生まれました。
大成功したシャネルですが、第二次世界大戦後には美容製品の販売件を共同経営者に売り渡し、それで得たお金で15年もの隠居生活を過ごします。
噂では、入れ込んだアーティストのパトロンにもなっていたのだとか。
その間のシャネルはどうだったかというと、ココ・シャネルとブランド権利やお金に関して度々トラブルがあったようで、そもそもの経営権を誰にするかで裁判に持ち込む問題も起こりました。
一時は世界で最も裕福な女性としてレコードされたほどのココ・シャネル。
巨万の富と名声はあるものの、想像以上の波乱万丈な人生だったようです。
隠居生活からデザイナーに復帰したのはなんと70歳という驚愕の年齢なのですが、時代やトレンドのギャップもあり大非難を浴びたココ・シャネル。
世間からは以前のような賞賛を得られなかったものの「いづれ、時代は私に追いつくはずよ。」と何とも強かな女性です。
ここまできたココ・シャネルの驚くべき事実。
それはなんと彼女はデザインを習ったことは一切なく、あるとすれば修道院でのお裁縫くらいということ。
ほぼ全てを自身で作り上げてきて、死ぬまでデザインへの情熱を持ち続けたココ・シャネルですが、この世を去ってから今のような賞賛と評価を受けることになりました。
ココ・シャネルは1971年、住居にしていたリッツホテルで、いつものようにカタログの制作を行っている時に生涯を閉じたといいます。
破天荒な性格ではあったものの、シャネルというブランドに対する愛情と情熱は晩年まで絶えず持っていたのですね。
1921年 香水No.5の誕生
Photo by Laura Chouette on Unsplash
シャネルの一番の名作といえば、あなたは何を思い浮かべるでしょうか?
きっとシャネルの香水No.5と答える人は多いでしょう。
シャネルはハイブランドの中でも香水の売り上げが大きく、香水ブランドとしての人気もトップ。
そのシャネルの香水のはじまりは、ココシャネルが作り出した香水No.5。
調香からこのNo.5というネーミング、コンセプトづくり、デザインにいたる全てに至ってココ・シャネルが行いました。
単調な香りだった当時の香水。
他にはない「女性のための香水」を No.5で実現させました。
初めて合成香料を使用した香水であるNo.5は、芳醇で素晴らしい匂いだと大絶賛されたようです。
「N°5」という表記も、とてもお洒落なセンスですよね。
あのマリリンモンローもNo.5愛用していました。
1921年のコレクションで発表されましたが、現在にいたるまで永遠の名作として愛され続けています。
1926年 リトル・ブラック・ドレスの誕生
出典:https://www.vogue.co.jp/fashion/trends/2018-10-31/black-dress/cnihub
ココ・シャネルがデザインした数々のものがファッション業界において革命を起こしてきました。
ファッションの常識を覆し、新たな定番にしてしまうのが彼女の凄いところです。
ファッションにおいて定番のカラーといえば、まず黒を挙げる方が多いと思います。
黒なら無難で万能、シック、モードといったイメージがあるかもしれませんが、ファッションにおける黒を定着させたのはココ・シャネルなのです。
その礎となったのがシャネルの黒いドレス。
当時の黒といえば、真っ先に連想されるのが「喪服」でした。
そうしたことで喪服の色である黒は、ネガティブなカラーというのが常識だったのです。
ココシャネルは、これをよりフィットしやすく女性らしい曲線づかいを凝らし、シンプルながらもファッション性の高い黒いドレスを1926年のVOGUEで発表。
黒は汚れが目立ちにくく、どんなバッグやアクセサリーにも合わせやすいという利点を見出した作品たちは瞬く間に女性たちや芸能の世界でトレンドとなりました。
「リトル・ブラック・ドレス(LBD)」「リトル・ブラック・ファッション」とも呼ばれ、他のブランドもこれにならったブラックファッションをこぞって出すようになったのです。
合理性や実用性で抜群で、誰もがチョイスできる黒というカラーは、ココ・シャネルが根付かせてくれたのですね。
【1983年~2019年】 ココシャネルの亡き後、カールラガーフェルドの時代
出典:https://www.asahi.com/and/article/20190220/401017389/
ココ・シャネルの亡き後、シャネルのヘッドデザイナーに就任したのはカール・ラガーフェルドという人物。
当時、実はシャネルの売り上げは低迷しており「終わったブランド」「シャネルは墓に戻る」と言われることも。
ですがデザイナーの天才といわれるカール・ラガーフェルドの手腕によって華麗に返り咲くことができました。
そしてなんと2019年に死去するまで、36年もの長い間シャネルを牽引した重要人物です。
有名なハイブランドの人気は、デザイナーによるところが非常に大きく占めていることは否めません。
デザイナー交代によって人気が上下することはよくあることですが、実は当時のファッション業界では外部からデザイナーを招き入れることはシャネルのカール・ラガーフェルドが初だったといいます。
若者よりも高年齢が使うブランドとして認知されていたシャネルを、カール・ラガーフェルドの巧みなセンスで新生シャネルに導きました。
トレンド最先端と様々なテイスト、カルチャーなを織り交ぜたカール・ラガーフェルド独自の世界観。
「自分の仕事は10年ごとにやってくるトレンドに合わせて再編集をすること。」と語ったようで、その言葉通りシャネルに投影してきました。
晩年までシャネルだけでなく、フェンディのデザイナーも兼任、多い時は4つのブランドを股にかけていたそうです。
それでも毎シーズンのオートクチュールもは発表していたということから、全力で現役をまっとうしたことは違いありません。
ファッション業界、モード界、シャネルにおいて、彼の残した功績はこれからも語り続けられることでしょう。
シャネルの歴史をアップデートさせた
Photo by Joshua Rondeau on Unsplash
女性の自由を掲げてスタートしたシャネル。
ココ・シャネルの作り上げてきた伝統的な女性らしさに、カールラガーフェルドは全く新しいイノベーションをもたらしました。
伝統的というのは時には人に古臭さを感じさせてしまうもので、そこにカールラガーフェルドは新たな切り口で挑みます。
まずは一世を風靡したシャネルスーツのデザイン一新。
女性の膝を隠す丈がココ・シャネルの大事なポリシーであったのを、斬新なミニ丈に変更。
かねてからシャネルを象徴する素材であるツイード、パール、2トーン使いなどは、より露出を強調し、世間にシャネルのイメージを強力に根付かせました。
本質的で強いアイコンを世間に浸透させ、デザインを見れば誰もがシャネルだとひと目でわかるまでになったのです。
ココ・シャネルへのリスペクトは忘れず、モダンで挑戦的なハイセンスさに世界はどんどん虜になっていきます。
シャネルをアップデートさせると同時に、彼の試みはいつしかファッション界へのイノベーションへと繋がりました。
多くのデザイナー達に影響を与え、帝王とまで呼ばれたカールラガーフェルド。
実力や功績で彼の右に出る者はいないとまで語られています。
【2019年~】新デザイナー ヴィルジニー・ヴィアール
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長年シャネルを牽引してきたカールラガーフェルドの死去、新デザイナーに起用されたのはヴィルジニー・ヴィアールという女性。
彼女は前任者の輝かしい功績に寄り添うことができ、シャネルのマインドを受け継ぐには当然の人物です。
なぜなら、30年以上もラガーフェルドと共に、また右腕として仕事をしてきた経歴を持ち、ラガーフェルドからも絶大な信頼を受けていたからです。
カールラガーフェルドがデザイナーを兼任していたクロエでも、彼女は共同制作に携わるなど、いつでもラガーフェルドの側でサポートをしていたようです。
ですから単なる同僚や師匠と言った関係柄ではなく、長い年月をともに過ごしてきた特別な関係があるようで、彼女の起用に異論を求める声などはありません。
彼女は「カールのスケッチからコレクションに命を与えることが私の仕事。」「カールが喜ぶ顔を見るために頑張りますけど、彼の驚く顔を見るのも好きなの。」
と言っており、ラガーフェルドも生前のインタビューで
「ヴィルジニーは私だけではなくてアトリエや全てにとって最も大切な人。」
という言葉を残しています。
ココ・シャネルからカール・ラガーフェルドへ、ラガーフェルドからヴィルジニー・ヴィアールへとシャネルスピリッツは受け継がれました。
デザイナーによってさまざまなシャネルの魅力が引き出され、女性たちはますますシャネルから目が離せません。
まとめ|シャネルを高く売るならお任せください
シャネルの歴代デザイナーについてのコラムはいかがでしたか。
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