バレンシアガの歴代デザイナー5名|創業者からデムナまで

作成日:2021年07月03日
最終更新日:2021年07月04日

バレンシアガ

Paris,,France,-,March,03,,2019:,Street,Style,Outfit,,Balenciaga

 

日本でも20代の若者中心に人気が高く、芸能人の愛用者も多いバレンシアガですが、創業時はスペイン貴族御用達のオートクチュールブランドでした。

 

どのようなブランド変遷を経てバレンシアガは、現在のようなラグジュアリーストリートブランドとして知られるようになったのでしょう。

 

今回はバレンシアガの歴代デザイナーからブランドの変遷に迫っていきます。

クリストバル・バレンシアガ【1914~1972】

「クリストバル・バレンシアガ【1914~1972】」のイメージ画像

 バレンシアガで最初にデザイナーを務めたのが創業者であるクリストバル・バレンシアガ

クリストバルは1914年のスペインでオートクチュール店としてバレンシアガをオープンさせます。幼少期から学んだ卓越した技術で、王室御用達となり、当時のセレブから大きな指示を得ました。

バレンシアガはスペイン内戦をきっかけに1936年、フランスへ拠点を移します。それ以後は「フランスのハイブランド」として知られていますが、ブランド名である「バレンシアガ」からスペイン発祥ブランドのアイデンティティをうかがい知ることができますね。

1950~1960年代はクリスチャン・ディオールの「ニュールック」が人気でした。これはコルセットで腰回りを絞って固めたクラシックなスタイルでしたが、バレンシアガは対照的にゆったりとしたスタイルのアイテムを売り出します。

女性ファッションのハードルを下げたとも言われていますが、この革命は「現在のラグストとしてのバレンシアガ」に通じるものがあります。

絶頂期のクリスチャン・ディオールと人気を二分していたバレンシアガでしたが、1972年に創業者で、デザイナーのクリストバル・バレンシアガが死去したことで次第に経営難に陥っていくことになります。

創業者のクリストバルは「クチュール界の建築家」と称され、ココ・シャネルは彼について「すべてを一人でこなすことのできるただ一人のクチュリエ」と評しています。

ジョセフュス・メルキオール・ティミスター 【1992~1995】

「ジョセフュス・メルキオール・ティミスター 【1992~1995】」のイメージ画像

クリストバル亡き後のバレンシアガは彼の甥が引き継ぎましたが、新作を出すわけでもなく、ただブランドを保有しているだけの状態がしばらく続きます。

1992年にはジョセフュス・メルキオール・ティミスターがデザイナーとして就任しますが、ブランドを復活させるには至りませんでした。

以前はディオールと並んで世界2大ブランドと呼ばれていたバレンシアガでしたが、この頃は不遇の時代だったと言えるでしょう。

ニコラ・ゲスキエール 【1995~2012】

「ニコラ・ゲスキエール 【1995~2012】」のイメージ画像

停滞していたブランドを生まれ変わらせたのが1995年にデザイナーに就任したニコラ・ゲスキエールです。

1997年にはクリエイティブディレクターとしてプレタポルテとジュエリー部門も担当することになります。

1998年に開かれたニコラのデビューコレクションはファッション界に大きな衝撃を与え、「新生バレンシアガ」を強烈に印象付けました。

またそれまでバレンシアガが得意としていたウェアだけでなく、バッグやシューズにおいても人気商品を次々に発表し、ユーザー層を広げたこともニコラの大きな功績です。

ニコラは受賞歴も輝かしいものがあり、2000年にはヴォーグファッション・アワードで「アバンギャルド・デザイナーオブザイヤー」、2001年にはCFDAの「インターナショナル・デザイン・アワード」と「ウーマンズ・ウェア・オブ・ザ・イヤー」を受賞しました。

2001年にはニコラの才能を高く評価したグッチグループがバレンシアガを傘下とします。潤沢な資金を得たバレンシアガはその後、世界に向けて事業展開していくことになりました。

バレンシアガが日本で店舗展開を始めたのは2006年からですが、映画で取り上げられたエディターズバッグなどを始めとしニコラのデザインが支持を集め、ブームとなりました。

伝統ある落ち着いたブランドイメージを一新し、アバンギャルドでスポーツライクなブランドへの革新はニコラなくしては実現できなかったでしょう。

アレキサンダー・ワン【2012~2015】

「アレキサンダー・ワン【2012~2015】」のイメージ画像

ニコラ・ゲスキエール退任後のバレンシアガを引き継いだのがバレンシアガ初のアジア系デザイナーであるアレキサンダー・ワンです。

彼は自身の名で展開しているブランド「アレキサンダー・ワン」でも有名ですね。

中国系アメリカ人としてサンフランシスコで生まれ育ったアレキサンダー・ワンはニューヨークのデザインスクールで学んだあと2004年にブランド「アレキサンダー・ワン」を立ち上げます。

2007年にニューヨークコレクションでデビューした後は様々な賞を受賞するなど着実に実績を積み上げ、それが評価されたことでバレンシアガのデザイナーに起用されました。

2年半ほどの任期で、前任デザイナーのニコラほど目立った活躍はできませんでしたが、自身のブランドと兼任しながらバレンシアガの発展に寄与しました。

デムナ・ヴァザリア【2015~現在】

「デムナ・ヴァザリア【2015~現在】」のイメージ画像

バレンシアガは現在世界でもっとも人気のあるラグジュアリーストリートブランドと言われていますが、それを礎を築いたのが2015年にデザイナーに着任したデムナ・ヴァザリアです。

 1981年にトルコ北東に位置するジョージア(旧グルジア)で生まれたデムナは、2006年にアントワープ王立芸術アカデミーのファッションデザイン学科を首席で卒業、2013年からはルイヴィトンのシニアデザイナーを務めるなど、第一線で活躍し続けてきた一流デザイナー。

2014年には自らのブランド「ヴェトモン」を設立しました。

デムナが立ち上げたブランド「ヴェトモン」とは

「デムナが立ち上げたブランド「ヴェトモン」とは」のイメージ画像

出典元:https://www.fashion-press.net/collections/10186

デムナが立ち上げたブランド「ヴェトモン」はラグジュアリーストリートブランドの先駆けとも言われ、バレンシアガに通じる「ラグスト」のベースはこのブランドにあると言っても過言ではないでしょう。

ヴェトモンの特徴としてはオーバーサイズのウェアが多いことが挙げられます。

あまりにビッグシルエットなため、ファッション初心者には着こなしが難しいブランドでしょう。上級者がイレギュラーなシルエットをコーデに取り入れて楽しむためのブランドと言えそうです。

2019年にデムナはヴェトモンを退任し、それ以後はバレンシアガでの活動に専念していますが、その際に彼は「ヴェトモンではファッション界の新しい扉を開くことができた。これからは次のステップに進む時だ」と語っています。

デムナ・ヴァザリアよるラグストブランド「バレンシアガ」

デムナ・ヴァザリアのバレンシアガでの最大の英断は「ラグジュアリーストリートブランドへの舵切り」でしょう。

この決断ができたのはデムナ自身がヴェトモン時代にストリートファッションの世界的な広がりと手ごたえを肌で感じ取っていたからに違いありません。

老舗ハイブランドであるバレンシアガからリリースされたポップでスポーティなアイテムの数々はそれまでのストリートファッションファンのみならず、セレズ層やアーティストなどの有名人著名人にも多くの支持を集めました。

バレンシアガと言えば、ゴシック体で視認性の高いロゴと、そのロゴマークを目立たせたアイテムが印象的ですが、このロゴの主張の強さもSNS時代との相性も良かったと言われています。

日本国内でもファッションリーダーがバレンシアガのアイテムの写り込んだスナップをツイッターなどにUPし人気がひろがったり、インスタグラムにも分かりやすく「映える」ロゴマークが多数UPされています。

こうしたプロモーションの上手さも、バレンシアガが世界でもっとも人気のあるラグストブランドになった理由のひとつでしょう。

まとめ

バレンシアガの歴代デザイナーをご紹介しました。

オートクチュール店としての創業からラグジュアリーストリートブランドとして大成するまで、バレンシアガの歴史は波乱万丈のブランドヒストリーと言えるでしょう。

そして時代に合わせたデザイナーを起用し、攻めた経営をしてきたことが今日の成功につながっているのではないでしょうか。

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