クオーツショックとは?時計好きなら知っておきたい豆知識

作成日:2020年10月06日
最終更新日:2021年06月15日

時計

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時計の歴史の一大転換期となった「クォーツショック」をご存じでしょうか。日本の時計メーカーの成し遂げた技術革新により、世界の時計の産業構造が根底から変わることになりました。今日の時計業界は、クオーツ時計という技術革命を乗り越えた先に発展したのです。この記事では、現代の時計史を語るうえで欠かすことのできないクォーツショックについて、わかりやすく紹介します。

「クォーツショック」について

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クォーツとは水晶のことで、この場合は水晶振動子という原理を用いたクォーツ時計のことを指します。電池で動くクォーツ時計は、今では最も身近な時計として世界的に普及していますが、その歴史は比較的新しく、家庭向けの商品が発売されてからまだ半世紀ほどしか経っていません。日本のセイコーが、1964年の東京オリンピックの公式時計として置時計ほどの大きさのクォーツ時計を開発し、1969年に世界初のクォーツ式腕時計をリリースしました。
それまでの一般向けの腕時計は、全てゼンマイを動力源とする機械式でした。電池式のクォーツ時計はゼンマイを巻く手間がなく、また精度もクォーツの方が機械式をはるかに凌駕しています。クォーツの実用化は、時計の歴史においては革命的な出来事でした。
その後、1970年代になるとセイコーが特許を公開し、世界中のメーカーがクォーツ時計の生産に乗り出します。これによって腕時計の低価格化が一気に進み、またたく間にクォーツが世界の時計の主流となりました。時計事業への参入コストが大幅に下がったことで、時計業界の構造そのものが大きく変わり、「クォーツショック」と呼ばれるほどの変革をもたらしたのです。

スイス時計業界が崩壊した

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クォーツショックの打撃を最も受けたのが、スイスの時計業界でした。それまで腕時計といえば機械式であり、繊細な歯車を職人がひとつひとつ組み合わせることによって作り上げられる高級品でした。スイスには世界に冠たる時計メーカーが集まり、その職人技を競っていたのです。
ところが、機械式時計よりも安価でありながら精度は上というクォーツ時計の登場により、スイスの時計産業は危機を迎えます。そのころオイルショックも重なり、スイス製の高価な腕時計の需要は著しく低下し、業界全体が斜陽となりました。ブランパンやIWC、A.ランゲ&ゾーネ、ゼニスなど、多くの老舗ブランドが倒産の危機に陥り、一時事業を休止したり、身売りを余儀なくされたりしました。

クォーツウォッチ・アストロンについて

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画像引用 セイコー公式HP

クォーツショックの震源となったのが、1969年12月25日に発売されたセイコーのクォーツ式腕時計「アストロン」です。正式には「クオーツアストロン 35SQ」という名称で、機械式のおよそ100倍の精度を有していました。販売価格は当時の自動車1台分に相当する45万円という高額でしたが、用意された20本は、贈分を含めてその日のうちに完売しました。
ただ、世界の他の時計メーカーが、クォーツ時計の開発に目を向けていなかったわけではありません。1970年4月にはスイスのオメガ社が、世界最大の時計見本市であるバーゼル・フェアに、スイス電子時計センター(CEH)製ムーブメントを搭載したクォーツ時計を出品しています。タッチの差ではありましたが、セイコーのアストロンは世界初の肩書きを手にし、その後の量産化への道を切り開いた記念すべきクォーツ時計となったのです。

セイコーが開発したクォーツムーブメントとは

水晶(石英)に電圧を与え、その振動周波数を用いて時間を計測するクォーツ時計の原理自体は、戦前から存在していました。世界初のクォーツ時計は1927年にアメリカで制作されましたが、洋服棚ほど大きなものだったため、用途は限られていました。このクォーツに着目し、東京オリンピックの開催に向けて急ピッチで実用化の研究を進めたのが、セイコー(当時は諏訪精工舎)だったのです。
セイコーのクォーツムーブメントは、3つの点で画期的でした。
1つは、精度の高さです。アストロンのクォーツは発売当初で8,192Hz(毎秒8,192回)の振動数があり、機械式では高性能でも1日数秒の誤差が生じるところ、ひと月に5秒程度という高精度を達成していました。
2つ目は、時計の価格の低下です。発売当初こそ車1台分ほどの値段がありましたが、セイコーが特許を公開したことで価格競争が促され、コストダウンが急速に進みました。機械式より精度は高いのに価格は安いクォーツ時計は、ほどなく世界の時計産業を席巻することになります。
3つ目は、大量生産化です。製造コストが低く、工場での量産が可能なことから、安価なクォーツ時計が大量に製造・輸出されるようになりました。

王者「パテック・フィリップ」はそのときどう乗り越えたのか

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クォーツショックによって機械式時計の地位が凋落していくのを、スイスの伝統的な時計メーカーも手をこまねいてただ眺めていたわけではありません。かといって、安易にクォーツに乗り換えるようなこともしませんでした。世界一の時計ブランドとも称される「パテック・フィリップ」を例に、スイスの時計業界の反応を俯瞰してみましょう。
クォーツ時計が爆発的に普及した1970年代、パテック・フィリップではムーブメントの改良に力を入れています。振動数を6回/秒から8回/秒に高め、さらには手巻きに代わる自動巻きムーブメントを開発しました。これらの新型ムーブメントを主軸に、新モデル「ノーチラス」のリリースや、「カラトラバ」のリニューアルを行うなど、あくまで機械式時計の進化を模索しつづけたのです。
1980年代に入ると、「超複雑(Supercomplication)時計」と銘打たれた機械式懐中時計「キャリバー89」を発表します。パテック・フィリップの創業150周年を記念し、同社の技術の粋を集めて開発されたもので、万年暦や恒星時など33もの機能を1台に搭載していました。世界で4個しか制作されておらず、オークション価格で1個あたり最低でも数億円の値がつくとされています。
このように、パテック・フィリップではあくまで機械式を貫き、職人の手による技術を誇りとすることで世界一の時計ブランドの地位を守り続けてきました。このことが、次に取り上げる機械式時計の復権へとつながるのです。

ジャン・クロード・ビバー氏とは

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出典元:https://www.tokeibegin.jp/feature/19106/

ジャン・クロード・ビバーは時計界のスティーブ・ジョブズとも称され1983年に休眠状態に追い込まれていたスイスの最古参ブランドであるブランパンを買収。1985年には優れた時計職人を集めた「独立時計師アカデミー」を発足させました。
ビバー氏は、機械式腕時計が再評価される契機となったのは、トゥールビヨン搭載型の腕時計の開発でした。トゥールビヨンとは、姿勢が変わることによって時間の進みに差が生じるのを防ぐ機構で、組み立てには高度な技術が要求されます。この複雑な機構を腕時計に実装することで、機能美と造形美の両方の価値を大いに高めました。
その後も、ビバー氏は「パーペチュアルカレンダー(永久カレンダー)」や「ミニッツリピーター」といったさまざまな機構を積極的に取り入れ、1年スパンで新モデルを発表するという手法で人々の目を引き付けました。氏はブランパンを再興させただけでなく、オメガやIWC、A.ランゲ&ゾーネなどのブランド復活に大きく関与しています。ちなみに、ここに挙げた3つの機構は、機械式腕時計の「三大複雑機構」と呼ばれています。

クォーツショック後の業界再編とは

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機械式時計の価値の見直しと並行して、スイスの時計界ではもうひとつ、企業のグループ化による業界再編という動きが進展しました。巨大資本の傘下に入ることで、ブランドは保持しつつ市場も確保するという経営スタイルがとられるようになったのです。ムーブメントメーカーについては、グループをまたいで供給することもありますが、時計ブランドとしては単独ではなく、グループとして競争を行っています。
今日では、ロレックスやエルメス、パテック・フィリップ、オーデマ・ピゲといった一部の世界的有名ブランドを除き、欧米の多くの機械式腕時計メーカーがいくつかの巨大資本グループに分かれて所属しています。ちなみに、日本のセイコーやシチズンといった大手メーカーは、単独経営でグループには参画していません。

まとめ

時計の歴史において、日本のセイコーが端緒となったクォーツショックが、いかに多大な影響をもたらしたのかお分かりいただけたと思います。クォーツ腕時計の開発により、時計は誰でも簡単に買える日用品となり、他方で機械式腕時計が芸術品としての価値を見出されるようになりました。手持ちの腕時計や、街角のショーウィンドウに飾られている高級腕時計などを目にするとき、クォーツショックに揺れ動いたそれぞれのメーカーや職人の努力に思いをはせてみてください。

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