Christian Dior(クリスチャンディオール)の歴史を辿る

作成日:2017年09月11日
最終更新日:2021年06月15日

ディオール

誰しもが一度は耳にしたことがあるであろうこの名前。
正式にCHRISTIAN Dior(クリスチャン ディオール)というこのブランドは、フランスのファッションデザイナー、クリスチャン・ディオールがその名を冠して創立したファッションブランドです。
ファッションのみにとどまらず、コスメや香水などさまざまな商品展開で老若男女世代を超えて愛されるDior(ディオール)の歴史について、今回は掘り下げて紹介します。

創設者クリスチャン・ディオールの歴史をみる

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

Dior Official(@dior)がシェアした投稿

 

Dior(ディオール)は1946年にフランスで創立されました。

1957年に死去した彼が、オーナーとしてDior(ディオール)を引っ張っていたのはなんと僅か12年という短い年月。

このわずか12年の歴史の間で、Dior(ディオール)は急速にこの世にその名を広めていったとも言えます。

そんなクリスチャン・ディオールは、1905年にイギリスの裕福な家庭に誕生しました。

成長期のクリスチャン・ディオールはパリの建築に深い興味を持ち、その感性を豊かにし芸術活動に没頭することとなったのです。

両親の意向でパリ政治学院に進学したものの、芸術に強い関心を持っていたクリスチャン・ディオールは、ディオール家の名前を出さないことを条件に父から出資を受け、アートギャラリーをオープンしました。

しかし三年後には大恐慌で父が破産したことが影響し、ギャラリーを閉鎖せねばならず、家をも失うこととなったのです。

身内の不幸が続き、さらには彼自身も病を患い、イビザ島で療養の時を過ごします。

1938年。パリに戻ってきたクリスチャン・ディオールは、この時からファッションの世界に踏み入れました。

クチュリエだったロベール・ピゲに雇われ、ピゲのメゾンで働くことになります。

当時のことをクリスチャン・ディオールは、「シンプルであることの長所によって、真のエレガンスが現れる」ことをピゲに教わったと話しており、後のクリスチャン・ディオールに大きな影響を与える経験となりました。

それから彼がパリ8区にDior(ディオール)を立ち上げたのは1946年12月。

翌年の1947年2月には最初のコレクションを発表し、世界にその名を広めていくこととなったのです。

1946年 クリスチャン・ディオール第一号店をオープン

「1946年 クリスチャン・ディオール第一号店をオープン」のイメージ画像

クリスチャン・ディオールは41歳にして、マルセル・ブサックという実業家からの支援を受けてオートクチュールメゾンを開きました。

 

ファッション業界でまだ名も知られておらず、実績もなかったクリスチャンディオール。

 

デザイナーを募っていたマルセル・ブサックはディオールのメゾンに懸ける熱意に信頼を置いて、多額に資金援助をしたと言われています。

 

これは当時話題にもなり、その影響もあってか、創業当初からブランドは世間から注目されていました。

1947年 ニュールックから始まったクリスチャン・ディオールの躍進

女性の画像

Dior(ディオール)が最初に発表した「コロール(花冠)」という名のコレクション。

1947年、春夏のパリコレで発表されたこのコレクションは「ニュー・ルック」と評されたことで知られています。

戦時中の資材不足にもかかわらず、布をふんだんに使用したコロールは女性たちからの反感を買い問題となっていたものの、資材不足が解消されると次第に収まっていきました。

しかしこのコロールが発表されたことはパリのファッション業界に革新を起こし、パリを再びファッションの地として復興させていくことになるのです。

 

1948年には現在も主力となっている香水部門がスタートし、コスメティクス分野でもトップの地位を獲得。

戦後、ファッション業界の第一線を駆け抜けたDior(ディオール)は、終戦した47年から没57年まで、オートクチュール界のトップに君臨していました。

Dior(ディオール)はコレクションごとに全く新しいスタイルを提案することで、常に注目を浴びる一流ブランドへと急成長したのです。

女性らしいシルエットを尊重し、花をテーマに常に新しいスタイルを発表し続けてきたDior(ディオール)でしたが、1954年にアルファベットコレクションの先駆けとして発表されたスズラン「Hライン」の評価は決して良いものではありませんでした。

Dior(ディオール)のニュー・ルックを崩したとも言われたこのHラインは今までDior(ディオール)が大切にしてきた女性らしいラインを殺すようなデザインとも言われ、またたく間に批判の的となったのです。

しかしその翌年に発表された「Aライン」は大衆からも大きな支持を受け広まっていったにもかかわらず、同時期に発表した「Yライン」でまたもスタイルを一新させ大きな話題を呼ぶなど、その革新はとどまることを知りませんでした。

1957年 若き後継者イヴ・サンローランがデザイナーに就任

めがねの画像

Dior(ディオール)を立ち上げわずか12年でこの世を去ったクリスチャン・ディオールが自身の後継者として指名したのが、今も名高きイヴ・サンローランでした。
今でこそ自身の立ち上げた同名イヴ・サンローラン(YSL)というブランドで有名な彼ですが、彼がDior(ディオール)の専任デザイナーに指名された時はなんと弱冠21歳という若さ。
クリスチャン・ディオールは当時のイヴ・サンローランの才能をいち早く見出した人物でもありました。
イヴ・サンローランにはデザインだけでなく経営に関しても多くの教えを行っており、後継者としての期待をかけていた人物でした。
21歳にして、Dior(ディオール)という大きな名前を背負うこととなったイヴ・サンローランでしたが、彼が最初に発表した台形を模した「トラぺーズ」ラインは発表と共に多大な評価をうけ、その日の新聞でも大きく見出しになるほどでした。
しかしその2年後には徴兵制度の元、イヴ・サンローランはメゾンを離れることとなったのです。

もう一人の後継者マルク・ボアン

風景の画像

イヴ・サンローランがDior(ディオール)を去ったあと、新たにデザイナーに任命されたのがマルク・ボアン。
マルク・ボアンもクリスチャン・ディオールが目にかけていた人物で、彼もまた素晴らしい才能をもってして引き抜かれた人物でもありました。
大成功を収めたクリスチャン・ディオール、イヴ・サンローランに続いての任命にははかり知ることの出来ないほどのプレッシャーがあったにも関わらず、彼が最初のコレクションで発表した「スリムルック」は、ヨーロッパのみならずアメリカでも人気を呼び、大成功を収めたのです。
彼の発表したデザインの服は当時の大女優やジャクリーン・ケネディ(大統領夫人)も身に着けるなど度々話題となり、約30年に渡りDior(ディオール)を支え続けました。

デザイナーの手により進化を続けるクリスチャン・ディオール

女性の画像

GIVANCY(ジバンシィ)でクチュリエを務めたジョン・ガリアーノ、かつてイヴ・サンローラン(YSL)を手掛けメンズラインを再び盛り上げたエディ・スリマンなど、さまざまなデザイナーが支えてきたDior(ディオール)。
近年、Dior(ディオール)が新たな風を吹き込む初の女性デザイナーとして、マリア・グラツィア・キウリを起用したことが話題になりました。
これまで革新を続けてきたDior(ディオール)で、彼女は本来のDior(ディオール)の伝統重んじるようなロマンチックなクチュールを披露するなど、クリスチャン・ディオールの心は今も受け継がれていると言えるんです。
そんなDior(ディオール)は、きっと今後も私たちを楽しませてくれるに違いありません。

関連アイテムの買取価格はこちら

他の人はこんな豆知識も見ています

完全無料

査定・買取のお申し込みはこちら