セイコー(seiko)の歴史|創業からグランドセイコー誕生、現在まで

作成日:2018年05月15日
最終更新日:2021年03月25日

セイコー

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日本が誇る時計ブランドの代表SEIKO(セイコー)。

 

タイムレスなデザインはどんなシーンでも愛用しやすく、幅広い世代から愛されています。現在では高級ブランドの「GRAND SEIKO(グランドセイコー)」も各界の著名人や芸能人を始め、多数のファンを抱えます。

 

セイコーと言うとどこか保守的なイメージをお持ちの方もいらっしゃると思いますが、とんでもございません。

 

セイコーの長い歴史は革新の歴史そのものです。

 

今回は日本を代表する時計ブランド「セイコー」の歴史、創業、グランドセイコーの誕生から現在まで年代順にご紹介していきます。

1881年:セイコーの起源

「1881年:セイコーの起源」のイメージ画像

出典元:https://museum.seiko.co.jp/seiko_history/founder/

ブランド誕生の歴史は、1881年に服部金太郎が作った「服部時計店」まで遡ります。当時の主な事業は輸入された時計の輸入販売。

 

並行して修理を手がけつつ技術を蓄積していき、1892年に時計工場「精工舎」を設立、柱時計や懐中時計を製造し、後には時計を輸出するまでに成長していきます。これが現在のセイコーの前身で、140年にも及ぶ歴史を持つ日本最古の時計メーカーの始まりです。

 

1892年からは掛け時計の製造を開始します。掛け時計を作り始めたきっかけは懐中時計よりも簡単に作れる事と、輸入時計より安くで製造できたため。

 

自社で全ての製造を行っていたので高品質の時計を要領よく開発。そのため、数年後には日本一の掛け時計量産工場として名を挙げました。

 

その後、精工舎は正確さを特に重視する鉄道用の時計を手がけたり、国内初の腕時計を開発したり、1924年にはセイコー(SEIKO)と名前を変えながら着実に成功を収めていきました。

「常に一歩先に」 創業者、服部金太郎さんの金言

セイコー優れた技術だけでなく創業者である服部金太郎さんの想い・言葉がルーツにあるからこそ現在のような大企業に成り得たと感じます。

「常に一歩先に」という言葉の意味は、先へ先へと進み過ぎることは良くないが、他よりも1歩進めた製品を出すこと

この精神のおかげで、どこよりも早く国内製造に手を出し始めました。また、周りが国内時計製造を開始し始めたなら、一歩進めた製品を開発すること。

このように周りとは違う行動を躊躇せずに行っていくことで、どんどんトップへと駆け上がります。この精神は今でも、伝統ある技術とともに受け継がれています。そのため、世界に負けない時計を世に送り出すことができるのです。

1902年:大ヒットの懐中時計「エンパイア」

「1902年:大ヒットの懐中時計「エンパイア」」のイメージ画像

1895年には懐中時計、1899年には目覚まし置時計の製造販売を開始しました。輸入時計が殆どだった日本。SEIKO(セイコー)はどこよりも早く、国内時計ブランドとしての地位を確立していくのです。

 

セイコーの大ヒット商品「エンパイア」をご存知でしょうか?

 

1909年の明治から昭和初期までの約26年間生産されていたSEIKO(セイコー)の花形商品です。今まで輸入が当たり前だった時計でしたが、中国への輸出が本格化していくきっかけになります。この時代からすでに、日本だけでなく世界にも少しずつ名を広げていますね。

1913年:国産初の腕時計「ローレル」誕生

「1913年:国産初の腕時計「ローレル」誕生」のイメージ画像

画像引用 セイコーミュージアム銀座

 

1913年には皆さんも1度は聞いたことがあるかもしれない、国内初の腕時計「ローレル」の販売を開始します。

 

海外では主流になっていた腕時計を日本のメーカーを先駆けてどこよりも早く取り入れることに成功したのです。

 

懐中時計は蓋を開けて時刻を確認する作業が大変でしたが、腕時計は一目で時間が分かる利便性から売れ行きが好調でした。ここからセイコーは腕時計のブランドとして、飛躍的に成長していくことになります。「ローレル」はその躍進の記念すべき第一歩でした。

1924年:初めて「SEIKO」を記した時計

「1924年:初めて「SEIKO」を記した時計」のイメージ画像

画像引用 セイコーミュージアム銀座

 

「ローレル」のリリースにより、日本初の時計メーカーとして鮮やかな舵切りに成功したセイコーでしたが、1923年に起きた関東大震災により、大きな被害を受けます。南関東から東海地域に及ぶ広範囲に甚大な被害をもたらした大災害で、セイコーも社屋や工場が全焼してしまいます。

 

しかし、服部金太郎氏の時計作りに対する信念が折れることはありませんでした。

 

それどころか、服部氏はこの大きなピンチを「精密で正確な時計を作り続けるという精工舎創業の原点」に立ち返るきっかけにします。

 

それが体現されたのが震災の翌年1924年に発表されたモデルでした。この時初めて文字盤に「SEIKO」の文字が記されたのです。

 

当時は「国産よりも外国製品の方がより優れている」という考えが主流でした。そんな中で、英訳でなく「SEIKO」とローマ字読みの日本語にしたところに、服部金太郎氏の自社製品に対する絶対的な自信、確固たる信念を感じます。

 

被災からわずか1年でここまでの立ち直りを果たしたことは只々驚くばかりです。服部氏を始めとした当時の技術者の不屈の精神を思うと、胸が熱くなってくる方も少なくないのではないでしょうか。

マニファクチュールとしての第一歩

「マニファクチュールとしての第一歩」のイメージ画像

セイコー史の新時代を切り開いたのが、1956年に完成した「マーベル」です。

 

同モデルは、ムーブメントから自社一貫製造され、さらにセイコーが独自開発した「ダイヤショック」と呼ばれる衝撃吸収システムも搭載していました。品質も機能性も当時の国産時計ではずば抜けており、「マーベル」によってセイコーは自社技術が海外メーカーに匹敵するものであることを証明したのでした。

 

「壊れない・狂わない・美しい」の時計原則に基づいて完成された「マーベル」は、国内最高クラスの時計としてコンクールなどで上位を獲得。また、スイスなど海外製の時計に対抗できる時計を生み出すことに成功したことで、ブランドの士気を高めました。

1960年:グランドセイコー誕生

「1960年:グランドセイコー誕生」のイメージ画像

「世界に挑戦する最高級の腕時計を作る」という高い志のもと製作されたのが1960年に発表された「グランドセイコー」です。

 

今なお高い人気を誇る、セイコーが持つ実用時計の最高峰フラッグシップ・ブランドの誕生でした。初代グランドセイコーが世界を驚かせたのは、その精度の高さです。時間の正確さを表す指標・クロノメーター検査基準を、さらに上回る正確さで時を刻むことでした。

 

また細部まで手を抜かずにおこなわれた仕上げも見逃すことはできません。特に、日本刀のように磨き上げられた針のエッジは美しく、グランドセイコーのアイコンとして今に引き継がれています。

 

グランドセイコーの「初代」、そして大阪万博のタイムカプセルにも収められた「VFA」はグランドセイコー初期の傑作。今でもこれらは中古市場で高い価格で取引されています。

1964年:オリンピックの公式計時に

「1964年:オリンピックの公式計時に」のイメージ画像

出典元:https://miharahonten.jp/topics/archives/280

セイコーの高い技術力と信頼性が世界に示されたのが、1964年に開催された東京オリンピックでした。

 

この大会でセイコーはそれまで公式計時を担当していたオメガやタグホイヤーといった名立たる時計メーカーの中から公式計時に選ばれたのです。計時を務めるにあたって、セイコーがスポーツ用ストップウォッチの開発に着手したのが1961年、そこからの3年間に開発した技術で見事大役を果たしました。

 

オリンピックのためにセイコーが生み出した製品には、水泳用電子計時装置や観客用の大型時計などがありますが中でも「卓上小型水晶時計」は数年後、世界に衝撃を与えることとなる「クオーツ アストロン」のベースとなるのです。そう考えると、時計史の一大転換点までのカウントダウンはここから始まっていたと言えるでしょう。

 

セイコーは東京オリンピック以後も1992年のバルセロナ大会を始め、夏季冬季合わせて5つのオリンピックでセイコーが公式計時を務めています。

1969年:世界を揺るがし、変革をもたらした

「1969年:世界を揺るがし、変革をもたらした」のイメージ画像

画像引用 セイコー公式HP

 

オリンピックの公式計時となったセイコーは世界的にも認められた時計メーカーとなりました。スイスを始めとした腕時計の先進ブランドは、セイコーの高い技術力を脅威に感じたに違いありません。ただし、ブランドのネームバリューにおいては、セイコーと世界のハイブランドとの間にはまだまだ歴然とした差がありました。

 

このブランド力の差を、圧倒的なスペックでぶち壊したのが「アストロン」です。電圧をかけた水晶(クオーツ)の規則的な振動周波数(32,768Hz)を用いた世界初のクオーツ時計でした。

 

当時の一般的な自動巻きの機械式時計が「日差±20秒」、作動時間(パワーリザーブ)が30~50時間。対するアストロンは「日差±0.2秒」「月差±5秒」そして電池寿命は1年以上という破格の性能。

 

このアストロンの登場は、世界中の時計ブランドを驚愕させ、その経営に大きな打撃を与えます。小さな島国の時計メーカーがまるでオオカミのように、世界の名立たるハイブランドへ牙を剥き襲い掛かったのです。

 

時計産業の超大国スイスについて言えば、1980年代末には、ピーク時の1970年と比較しておよそ65%もの時計ブランドが淘汰されています。クオーツ式時計登場による、これらの大変革を「クオーツショック」と呼びます。世界の時計史を語る上でも欠かせない一大転換点であります。

 

余談ですが、クオーツショックはあの「タグ・ホイヤー」をも経営難に陥れ、1985年に当時の「ホイヤー社」がTAG社の資本を受け入れ、現在の「タグ・ホイヤー」となったのは時計好きの間では有名な話でしょう。

1970年初頭:6桁表示のデジタルウォッチ商品化

セイコーによるクオーツ式時計の商品化は前述の「クオーツショック」として世界中の時計メーカーへ強烈なインパクトを与えました。しかし特許権利化した技術をセイコーが公開したことで、このクオーツ式時計が世界へ普及していくことになります。

 

1973年には世界発の6桁表示デジタルウォッチ「06LC」がセイコーから発売されました。1970年初頭からLED表示を採用した商品は各社から出始めてはいましたが、セイコーはより視認性に優れ省電力な「液晶ディスプレイ」の開発に成功したのです。

1974年:クオーツ式のドレスウォッチ誕生

クオーツ式時計を生み出して以降、セイコーはムーブメントの小型化、消費電力の軽減などを推し進め、1974年には薄型cal.4130を搭載したドレスウォッチのリリースに至ります。

 

これにより「分厚いムーブメントのクオーツ式時計」というイメージは覆り、それ以後は様々なシーンに対応した多様なクオーツ式時計を世に送り出しています。

1988年:高精度クオーツムーブメントによるブランドの復興

「1988年:高精度クオーツムーブメントによるブランドの復興」のイメージ画像

出典元:https://www.grand-seiko.com/jp-ja/about/history

セイコーが生んだクオーツ式時計は、同社のブランドであるグランドセイコーの「最高精度腕時計」というブランドコンセプトを揺るがす結果となり、グランドセイコーは1970年代には一度生産中止を余儀なくされました。

 

これを蘇らせたのが1988年に登場した「95GS」です。搭載した「9581、9587」ムーブメントは、当時一般的なクオーツよりも耐温度性、正確性において優れており、このモデルの商品化によりグランドセイコーは、そのブランドコンセプトを見事復活させたのでした。

1993年:クオーツを超えたクオーツ

「1993年:クオーツを超えたクオーツ」のイメージ画像

出典元:https://www.grand-seiko.com/jp-ja/about/history

復活を果たしたグランドセイコーは「クオーツを超えるクオーツ」を目指しました。その為に、「正確性」「視認性」「耐久性」という時計の原点を追求し、そして世界最高峰のクオーツ「9F」の開発に成功したのです。

 

9Fの機能を見ても最高峰として相応しいものであったことが分かります。クオーツは機械式と比べて回転力の弱さが指摘されていましたが、9Fは「ツインパルス制御」と呼ばれる機構を採用したことにより一般的なクオーツの2~3倍もの回転力を実現しました。これにより9F搭載モデルは機械式と同等の「針」を装着することが可能になり、デザインもより高級感溢れるものにグレードアップしました。

 

ツインパルス制御による回転力の向上は従来のクオーツ時計では不可能だった「瞬間日送りレバー」の採用も可能にしました。

 

また動力部に制動車を組み込んだ「バックラッシュ・オート・アジャスト機構」がより精度の高い針の動きを生み出しています。

 

これらの画期的な機構は現在もグランドセイコーで使用されています。

1999年:唯一無二の機械式時計「スプリングドライブ」

「1999年:唯一無二の機械式時計「スプリングドライブ」」のイメージ画像

画像引用 セイコーミュージアム銀座

 

1999年には機械式でありながらクオーツ並みの精度を誇る『スプリングドライブ』が完成します。これは動力には機械式のゼンマイを利用しつつ、動きの制御をクオーツ式の水晶振動子によって行うというシステムでした。両者の弱点を補完しあう「理想的なハイブリット型」ムーブメントです。

 

驚くべきは「スプリングドライブ」の構想自体は1977年には生まれていたという事実です。セイコーは実に20年以上の年月をかけ、技術力を磨き上げ続け、この画期的な構想を実現させたのです。

2004年:グランドセイコーが目指した「スプリングドライブ」

「2004年:グランドセイコーが目指した「スプリングドライブ」 」のイメージ画像

出典元:https://www.grand-seiko.com/jp-ja/about/history

「スプリングドライブ」がグランドセイコーに実装されたのは開発から4年後の2004年でした。なぜすぐに実装されなかったのでしょう?

 

そこにはグランドセイコーの高級ブランドとしての矜持がありました。

 

「72時間」以上のパワーリザーブ性能でなければ実装しないというグランドセイコーの時計作りにおけるこだわりがあったのです。これが見事に達成された2004年、従来の連続駆動時間のおよそ1.5倍にあたる72時間という長時間駆動を誇る「キャリバー9R」シリーズが満を持して登場しました。

 

 その後もグランドセイコーはGMT機能を搭載したスプリングドライブムーブメント(9R66)やクロノグラフ機能を備えたスプリングドライブムーブメント(9R8シリーズ)などの高性能のムーブメントを製造し続け、世界でもトップクラスの技術力を証明し続けています。

2010年代~現在:セイコーは躍進を続ける

「2010年代~現在:セイコーは躍進を続ける」のイメージ画像

2016年には、ハイブリッドで最大8日間も連続で駆動できるモデルやセラミックスを全面に使用したモデルなど、その時代に合わせてさまざまな機能が盛り込まれたモデルが登場しています。高い機能はすでに証明されていますが、デザイン性にもこだわっております。

 

2021年にはセイコーのルーツである「服部時計店」が誕生した1881年からちょうど140年になり、2017年に独立ブランド化した「グランドセイコー」2020年でブランド60周年を迎えました。

 

数量限定1000本の記念モデルとしてリリースされた「SLGH003」は、ブランドカラーである紺色を文字盤に採用し初代グランドセイコーのデザインを取り入れ、スペックとしては最大80時間ものパワーリザーブを誇るグランドセイコーの最新技術を結集したモデルです。

まとめ

今回はセイコーの歴史を年代ごとにまとめました。

 

セイコーは最高の精度を誇る時計ブランドして世界的にも知られており中でもグランドセイコーはトップクラスの最先端技術が詰まったブランドです。長く使える、使いやすい、正確さなど普段使いするに置いて最も大切なポイントをブランドの方針として捉えている所が幅広い層の人から長年愛される理由ではないでしょうか。

 

セイコーはこれからもたゆまぬ技術革新で時計業界の歴史を築いていくに間違いのないブランドでしょう。

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